■S玉町立E草小学校(山梨県)その1

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“人体模型”って皆さんご存知ですよね。よく学校に伝わる怪談などで、夜中に一人で歩き回るとか言われている例のヤツなんですけど、時代の流れで最近の学校には置かれていないことが多いかもしれません。

さて、すでに皆さん薄々気づいているかと思いますがこのブログ、人形の登場する率が異様に高いと思いませんか? それはなぜかと言うと私が人形好きだからなんですね(何のひねりもない答えで恐縮です)。
特に廃墟に残されているような人形が大好物なんですけど、これまで廃校というジャンルにあまり興味がなかったせいか、結構長いこと廃墟巡りをしているにも関わらず、この“人体模型”には、一度も出会ったことがありませんでした。

そんな話を昨年(2018年)知り合いの廃墟写真家の方にしたところ、「人体模型なら山梨の『E草小学校』に残っているのではないか」という情報を教えてくれたのです。
ただ、ネットで調べてみたところ、数年前の情報しか見つけられず、その中でも一番新しいものでは、既にほとんどの部品が失われた姿の人体模型の写真が1点載せられているだけでした。
これはあまり期待できないかもしれないと半分あきらめつつ、僅かな期待を胸にカメラを抱えて、現地を訪れてみることにしたのでした。

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廃墟には似つかわしくないような爽やかな5月のある日、朝早くから山梨県までやってきました。問題の『S玉町立E草小学校』は、中央高速をおりて、しばらく車を走らせた山間の集落のはずれにありました。


ここでネット上から拾ってきた『S玉町立E草小学校』の歴史を簡単に紹介しておきましょう。

創立は1872年(明治5年)で、当時は「E草学校」という名称でした。建っていた場所も現在とは違う所だったようです。その後火事になって校舎を建て直したり、幾度かの名称変更を経て、1956年(昭和31年)になるとE草村がS玉町に編入合併されたことにより、『S玉町立E草小学校』という現在(?)の校名に変更されます。
翌1957年(昭和32年)、私が訪れたこの場所に新校舎が完成し、それから28年間、地域の小学生がこちらの校舎で学んでいったのですが、1985年(昭和60年)周辺の小学校統合によって閉校となってしまったということです。

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♪山の学校あるある言いたい〜、早く言いたい〜、……山の学校は〜高台に建てられがち〜!
ということで、『E草小学校』は、谷間にある集落を下に見る山の上のほうに建っていました。小学生は通うのが結構大変だったんじゃないでしょうか。

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門柱に何か書かれています。現地では読めた記憶があるのですが、写真で判読しようとしたら読めませんでした! 何かを記念して建てられたんだと思います、たぶんですけど。

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桜の古木には平仮名で書かれた「そめいよしの」の札が残っていて、昔はここが学校だったんだなあと感じさせてくれます。

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石段を上がりきって校庭に出ました。閉校後に育ったであろう樹木に遮られ、校舎の姿はほとんど見ることができません。

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校舎に向かって右側を見ると石碑などが見えたので、近寄ってみることにします。

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この地に新校舎が完成した記念碑(左)と閉校の記念碑(右)でした。この二つが並んでいるのはちょっと淋しいですね。

【つづく】

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by kuze007 | 2019-01-09 00:01 | 廃墟 | Comments(0)

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