■いわき仏の里(福島県)その1

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今回紹介する『いわき仏の里』。じつは写真がひどかったので公開せずお蔵入りの予定だったのですが、理由あってアップすることにしました(その「理由」というのは後ほど説明します)。ということで、写真のクオリティはいつにも増して低いので、覚悟してご覧いただければ幸いです。

さて、『いわき仏の里』ですが、こちらはかつて福島県いわき市にあった観光系宗教施設です。観光と宗教、どちら寄りだったかといえば、「いわきの新しい観光名所」として建設されたという話なので、基本的には観光・レジャー施設と考えて間違いないでしょう。敷地内には写真の観音像のほか、水子三観音や十二支天など28体の像が建立されていたそうです。

造ったのは渡辺宏幸という人物で、当時いわき市内で「ぜいろく茶屋」というレストランの経営をしていました。1986年(昭和61年)5月2日に開眼法要を行ってオープンしたことは新聞記事などで確認できたものの、いつ頃まで営業していたのかは不明です。
小林伸一郎氏の写真集「廃墟遊戯」(メディアファクトリー・1998年発行)には1971年閉鎖と書かれているのですが(おそらくネット上の1971年終了説もそれを根拠にしているのではないかと思います)、それでは辻褄が合わないんですよね〜。じつは手書きの原稿だったせいで、7と9をオペレーターが見間違え、1991年が1971年になっちゃったんじゃないかと疑っているんですけど、まあこれは正解がわからないので勝手な妄想です。
ただ、後で紹介する資料で、廃墟となっていた『いわき仏の里』を別の施設に生まれ変わらせようという計画が1993年にあったことが判明しているので、1991年というのは案外イイ線いってるんじゃないかと思っています。


ということで、そんな『いわき仏の里』が廃墟になっているという話をきいて、伊豆の『大滝ランド』に出会ってから宗教レジャーランドの廃墟に目覚めてしまった私は、2000年のゴールデンウイークに喜び勇んで出かけて行ったのですが……。

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夜明け前に家を出て、早朝(このへんが写真失敗の大きな原因のひとつですね)目的の場所に到着した私を待っていたのは、廃墟と言うより跡地と化した、スッカスカの「いわき仏の里」でした!

「廃墟遊戯」の後に出版された、同じく小林伸一郎氏による写真集「廃墟をゆく」(二見書房・2003年発行)に掲載されていた1998年の『いわき仏の里』の写真を見ると、珍妙な造形の鬼や鶴・亀などの像があったはずなのに、影も形もありません。奥に重機が置かれているところを見ると、タッチの差で撤去されてしまったみたいです!

ちなみに前出の「廃墟遊戯」の説明文によると、内部には「巨大母子観音を中央に、十二支めぐり、人形供養のコーナー、弘法大師銅像、水子地蔵、七福神、金比羅、稲荷、天狗、閻魔大王、赤鬼、青鬼、鶴、亀、龍などの奇妙なオブジェや御神体」が展示されていたと書かれています。

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こちらはかろうじて残っていた鉄骨だけの建物。解体中で壁などが撤去された状態かと思ったのですが、よく見ると建築途中で放棄されてしまったもののようです。

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恐らくこれが「廃墟遊戯」で“建設途中の展望レストラン”と書かれていた建物でしょう。しかし“展望”という割に窓が少なくないですか……?

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『いわき仏の里』でシンボル的存在だったと思われる、めっちゃ金ぴかの観音像も残っていました。金色とか白は露出が難しいので、やめてほしいものです(無理?)。

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赤児を抱いているところを見ると、慈母観音像のようです。

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足下に近づくと看板が残っていたため、正式名称は「藤原慈母観音」だということが判明しました。ちなみに高さは17メートルだとか。

【つづく】


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by kuze007 | 2018-05-07 00:01 | 廃墟 | Comments(0)

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